夕方には、再び目覚め、母の作ったスープを食べた。
「どうして、死にたかったの」
男から話を聞いていた母は、率直にたずねた。少女はスプーンを持つ手を止め、母をじっと見つめた。スープからは白い湯気が立っている。
「また話します。ですから、お願いです。ここにしばらく、置いていただけませんか」
少女の目は真剣だった。声は切実だった。
「『ですから』ってどういうことだ。何言ってんだよ。迷惑な話だ!」
男は怒鳴った。
「落ち着きなさい」
母は男を叱った。
「わたしたちは、二人で生きるだけで精一杯なんです。見ず知らずの、しかも息子に迷惑をかけたあなたの面倒までみきれないわ」
「わかっています。普通はそうでしょう。でも、わたしは帰れないんです。手伝いなら何でもします、もしも食べるものに困ったら、いっそ、わたしを殺して食べてください。こんな肉でも、きっと食べられるでしょう」
二人は、少女は正気なのか、と彼女の顔を睨んだ。彼女は笑っていなかった。
「お前は俺たちを馬鹿にしているのか?」
「そんなことありません。わたしは行くあてもないし、そうなったら、もう、死ぬしかないんです。だから、お願いです、どうか」
「だったら、村へ行け。人のいる村へ行った方がいい」
男の口調はきつかったが、母はたしなめようとしなかった。母も、命を無駄にしようとする少女に腹を立てていたからだ。
そのような雰囲気がよくないのは当然だった。それでも椅子に座る少女の背筋はぴんとし、その空気に屈していなかった。
「わたしは、あなた方の家でなければならないのです。理由は、また、話しますから」
「今話せよ」
少女は黙った。何か悩んでいるようだった。しかし、男の目を射抜かんばかりに見つめて言った。
「あなたのお父さんにお世話になったからです」
空気が、さあっと凍った。半ば、タブーに近い父の話題が、他人の少女から出ようとは。母はぴくりと身動きし、息を飲んだ。
「……わかりました。いいでしょう。でも、この一週間以内にあなたが理由を話さなければ、追い出します」
男は母に文句を言おうとしたが、言わせなかった。母が、今までに見たこともないほど、ぴりぴりと張りつめていたからだ。
――母さんと、父さんには何かあったのか?
男は母を凝視したが、目に見える雰囲気以外、何もわからなかった。
少女に任された仕事は、家事全般だった。
家の中は狭く、物も少なかったので、勝手はすぐに把握できた。しかし、二人とも、それぞれの部屋には一歩も入れなかった。母の部屋にはお金があるし、男の部屋には銃一式をしまっているからだ。
少女のことを信用するのは無理だった。
少女は何でも器用にこなした。料理は特に上手だった。少ない材料で、三人分の美味しい食事を作った。
「おいしい」
夕食の時、男は思わず言ってしまった。はっと口に手をやったが、少女の耳にはもう届いていた。
「ありがとう」
少女は微笑んだ。母はそれを一瞬、睨んだ。
次の日、男は薪割りをした。たくさんある木を無言で割っていく。これも、もう慣れてしまったことだ。
「お疲れさま」
少女は一通り家事を済ませ、お茶を沸かして持ってきた。
「ありがとう」
男はお茶を受け取って、芝生に腰を下ろした。少女も少し離れたところに座った。
「大変ね」
「いや、もう慣れてる」
「いつから、この生活?」
「生まれたときからここで暮らしていたよ」
「そうじゃなくて、お父さんのいない暮らしは、いつから?」
男は、何を言うんだ、という顔で少女の方を見た。
「……五年前」
「そう」
男は両手を少女に見せた。
「見てくれよ、父さんがいたころはちょっとはましだったのに、こんなに汚い手」
「ごめんなさい」
「何で謝るんだ」
少女は黙って、眉をひそめる男を見た。
陽光が少女の茶の髪に射し、瞳に射し、全ての色素を透かした。長い睫毛が何度か揺れた。遠くで鳥が、甲高い声で鳴いている。
「また話してくれるんだよな?」
少女はうなずいた。