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森閑
■二、とんでもない引き金■

 ある日、いつものように猟銃を構えていた。
 茂みの大きな揺れは、鹿だと思った。鹿なら、肉を塩漬けにしてもらおう、などと考えていた。
遠くからスコープを使って狙いを定める。緑の茂みの間から見える茶の毛。こちらがずっと狙っているのに、逃げる気配はない。
 弾丸はあっけなく標的に当たった。茂みから茶色の塊が飛び出してきた。それは鹿ではなく、人だった。
 ――何てこった!
 男は慌てて人のもとへ行った。男ははっとして、人の前で足を止めた。
 倒れた人の格好が異様だった。鹿の毛皮を身体に巻いて、ベルトでしっかりと留めている。これでは、鹿と間違えてください、と言っているようなものだ。
 男が呆れながら倒れた人の顔にかかる皮をめくると、白い少女の顔が出てきた。苦しそうに息をしている。
「大丈夫か?」
 しかし、返事はない。楽にさせようと、きつくしめられているベルトを外した。毛皮の下には、質素なシャツとスカート。腕から真っ赤な血が滲んでいる。幸い、急所ではなかった。
「しっかりしろ。今連れて帰ってやるからな」
 男は少女を背負い、走りだした。

「母さん! 大変だ! 間違えて人を撃ってしまった!」
 窓辺で縫い物をしていた母の顔色が見る見るうちに青ざめていった。
「あんた、なんてことを!」
「わかってる! それより、早く手当を」
 男は自分のベッドに少女を寝かせた。少女の青白い顔は汗ばんでいる。痛いのだろう。
 母は慌てて桶に水を汲み、白い包帯と一緒に持ってきた。
「傷を洗ってやりなさい」
 男は丁寧に左腕の傷を水で洗った。傷は思ったよりもひどくなさそうだ。母が包帯を手渡すので、受け取り、きつく縛った。少女は顔をゆがめたが、止血のためにも仕方がない。熱もあるようだった。
「すまない、本当にすまない……」
 男の手は震えていた。
 そしてその晩、彼は一睡もせずに少女の看病をした。

 朝、額を冷やしていた布を取り替えるために少女の方を見ると、彼女は目覚めていた。灰色の瞳は、まっすぐ天井を見ていた。
「大丈夫か?」
 少女はわずかにうなずいた。
「そうか。よかった」
 男は絞った布を、少女の額にあるものと取り替えた。昨日と違い、彼女の血色はよくなっていた。
「すまなかったな」
 少女は首を振った。
「どうして」
 彼女はかすれた声で言った。
「殺してくれなかったの」
 目に涙を浮かべている。男は驚いた。
「死にたかったのか」
「そうよ」
 ――それでわざと、鹿の毛皮を被っていたわけか。
 男は腹立たしさを感じていたが、何も言わなかった。少女も口を結んだまま、再び瞳を閉じた。

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