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森閑

■一、今の暮らしに至るまで■

 男は、自分よりも弱い生き物を殺して、生活していた。それは彼の父もやっていたことだった。
 よく手入れされた猟銃に弾を込め、木々に混じり、息を潜ませ、のんびりとしている兎を睨む。一瞬の殺気と、兎の緊張。森中の、全ての耳に届く銃声。気づいた兎が逃げるより速く、弾丸は兎に命中する。
 静かに喜ぶ男は、兎の元へ駆け寄る。ふわふわの体毛、暖かいからだ、見開かれた眼。それを彼は、かわいそうだとは思わない。麻袋に無造作に兎を入れ、家へ帰る。
 彼の煙突から細い煙の出ている小さな家には、小さな母がいる。
父は五年前に、猟へ行ったきり、帰ってこなかった。理由はわからない。理由なら、いくらでも思いつくからだ。病弱な母と、猟もまだ上手にできない息子の面倒。厳しい冬が訪れる森に住まなくてはいけないことへの、嫌気。だから、逃げ出してしまったのか。それとも自ら死んでしまったのか。
 残された二人は、彼が森で事故に遭ったのだと、最初は考えた。そして、森の中を可能な限り、捜した。しかし、父は見つからないまま、冬が来た。
 父を捜すことに費やされた時間は、冬越しの準備まで残されてはいなかった。二人は村の親戚の家で冬を越した。疲労のたまっていた母は、春が訪れるまで寝込んだ。
 冬が過ぎ去り、母が回復すると、二人は再び森の入り口へ戻った。親戚は反対した。それでも、森で住みたいのだと、母は懇願した。当時、男は十三歳の「少年」だった。
 今でも、年齢的に少年と呼べるが、猟銃を携えたたくましい姿には、少年という表現は似合わなくなっていた。

 男は靴に付いた泥を落として、扉を開けた。
「おかえりなさい」
 母は台所で夕飯を作っていた。おいしそうなスープのにおいもする。
「ただいま。兎を獲ってきたよ」
「ありがとう、お疲れさま。もうすぐ夕飯だからね」
「ああ、わかった」
 男は上着を脱いで、銃を片づけ、麻袋を持ったまま表に出た。外で兎をさばくためだ。外では鶏小屋の鶏がやかましい。しかし、それは彼にとって当たり前の音だった。
 五年あれば、慣れないことも当たり前になる。頼りなかった少年は、五年で別人になる。
父は、ほんの少し、神経質だった。
 その神経質さゆえに、父は人里から少し離れた、森の入り口で家族だけと暮らしてきた。村の祭りなどの行事には、仕方なく参加していたので、人は彼を変人扱いしていた。
 それでも村人と、ひどい隔たりがなかったのは、愛想のいい彼の妻のおかげだった。自給自足の生活にも限界があるので、鶏の卵を村に売るのが、妻の仕事だった。
 普段、父は落ち着きのある優しい人だが、時々、ひどく怒ったり、悲しんだりしていた。
 彼は、そんな父と性質が似ていた。それを、本人も自覚している。
 だから、彼が恐れているのは、自分自身も母を置き去りにして、逃げ出してしまわないか、ということだ。男は不安だったが、母には一度も話したことがない。
 いなくなった父についても、この五年、まともに話したことは一度もなかった。話したところで、何かいい方向に向かうわけではない。触れてはいけないことのように、生きることに忙しい日々で誤魔化して、過ごしてきた。

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