Home : 出さない手紙について
白い砂漠
【2】

 今日はいつもと違い、外の砂漠がいっそう白く見えた。日差しがきついのか、乱反射する地面を長く見ることができない。風も止まり、城の中はいつもより静かだった。その様子に異変を感じた砂雪は、父の部屋へ慌ただしくやってきた。
「お父さん、外の様子がおかしいのです。きっと不吉なことが起こります」
 父は少し顔をしかめた。
「砂雪、お前は賢い。でも、それはきっとお前の勘違いだよ」
 父は優しく、砂雪の頭を撫でながら言った。外の異変に気がついていない様子だった。砂雪は頭の上の手を払った。
「わたしの部屋にも窓があります。そこから眺めることのできる白い景色は、やがて濁ってしまうと思うのです」
 父は怪訝な顔をした。
「少し疲れているのだろう。あまり縁起の悪いことを言うな。お前は少し休むんだ。医者なら、呼んでやろう」
「お父さん、今日はいつもと空気の音が違う。砂の擦れる音もいつもと違う。たくさんの足音、砂の擦れる音。何かがこちらにやってきます。何か、不吉なものが」
「本当に今、争いが起こったら大変なことになってしまう。何の準備もしていないのだ。国民は、平和であることが日常になりかけている。よその国に簡単に攻め落とされる。砂雪、冗談でも縁起の悪いことは言うな。部屋に戻りなさい」
 そう父に言われたので、砂雪は仕方なく自分の部屋へと帰っていった。

「なぜわたしの言うことを信じてくれないの?」
 むすっとした顔で、部屋に帰ってきた砂雪が開口一番に言った。それを聞いていた砂雪のお気に入りの侍女がにやにやとしながら答えた。
「あの方は耳が悪いようですからね、姫さまと違って」
「いけませんよ、そんなことを言っては。いくら耳が悪いと言っても、悪口は聞こえますよ」
「じゃあ、悪口に関しては地獄耳なんですか」
「そうね」
 侍女は口元を押さえて笑った。砂雪も軽く笑ったが、まもなく表情は険しくなった。
「でも、どうしましよう。わたしの耳には今でも聞こえているの。いつもと違う音が」
「姫さま、あまり気になさらない方がよろしいでしょう」
 今朝から侍女は姫にいつもと空気が違うことを聞かされていたので、半ばうんざりとしていた。
「そういうわけには。本当に、悪いことならば大変だもの」
「それじゃあ、いつものように用意をするんですか、姫さま」
 「いつものように」。そう、砂雪は空気が違うと言って騒ぐことが度々あるのだ。彼女はもともと、耳だけでなく、ほかの感覚も鋭い。地下の水の量や、風の強さは感覚で理解していた。父は砂雪の力を生かせる役職に将来就かせたい、と思っていたが、誤りも少なくはなかったので、難しいことだとも思っていた。
 砂雪はさっそくお気に入りのタンスから衣服を取り出しながら、「荷物をまとめよう」と彼女は言った。
「うわぁ、やっぱり?」
「あなた、最近態度が悪いわ。わたしにはいつだって、あなたを解雇することができるのを忘れたの?」
 ふふん、と少し人を威圧するような眼差しを侍女に向けながらも、手は荷物をまとめるために動いている。そりゃないですよ、と訴えかけるような声音で侍女は言った。
「姫さまぁ」
「冗談。わたしだって冗談の一つや二つ、言うわ」
 それから二人は口をきかず、黙々と荷物をまとめ続けた。銀のティーポット、カップ、お皿、宝石のたくさん入った箱など。生きるために必要のないものばかりが大きな鞄に詰め込まれていった。
「あなたは今年で十歳ですね? こんなに若いのに死にたくはないでしょう。それに、生活で困りたくはないでしょう」
 砂雪は急に、少し悲しそうな目で侍女を見ていた。その瞳の中の侍女は少し驚いていた。
「あ? ええ、したくはないですよ」
 整った顔が自分だけを見つめている。それが同性であっても、思わずどきりとしてしまうのだ。動揺しているのをひたすら隠そうとしていても、侍女は十歳。勝手に顔が赤くなってくる。
「あなたはおもしろいわ。いつまでも見ていたいわ」
 さっき見せた悲しそうな瞳はどこかへいってしまい、姫は少しからかいながら侍女を見つめていた。
「姫さま、わたしで楽しまないでください」
 侍女が頬を膨らませて怒るので、砂雪はなだめるように言った。
「わたしからあなたに贈り物をしてあげるわ。この銀のお皿はどう?」
 そう言って、砂雪専用の小さなクリーム色の食器棚から一枚の皿を取り出した。その皿は銀製で、翡翠やガーネットをバラの花や葉のようにかたどって、はめ込んであった。
「これを、わたしに?」
「ええ。さあ、受け取ってください。重くて手が疲れます」
 砂雪はにっこりと笑い、侍女に差し出した。重みをもったその皿は、侍女の手に渡った。
「今回の、わたしの嫌な予感は今までよりもずっと嫌なものなの。あなたは知っている?わたしがいつも嫌な空気を感じたときは、魔法で邪気を祓っていることを。だから、嫌な予感は予感のままで終わっていたの」
 ゆっくりと話をしていく砂雪の顔色はだんだん悪くなっていく。
「今もわたしは魔法で邪気を祓おうとしているけれど、嫌な空気はだんだんこちらに向かってきているわ」
「え? 魔法をかけていたのですか。では姫さま、今回は本当に危ないのですね?」
「そうよ。不吉なものがこちらへ到着するのは、時間の問題。わたしは魔法を解き、ここから逃げるの。薄情者と思われるだろうけど、わたしはね、まだ死にたくないの。それに、じきにみんな、この空気の異変に気づくはず」
 鞄のふたをぱちっと閉じ、更にベルトで堅くぎゅっと締めると、砂雪は立ち上がった。
「城を出よう。今からわたしは城を出る手続きをとってくるから、あなたは荷物をわたしの部屋から出しておいて」
「はい」
 砂雪は、父の元へ再び向かった。
 父の元には、兄姉も揃っていた。砂雪は彼らにゆっくりとお辞儀をして、開け放しの部屋へ入っていった。
「お父さん、わたしはこの城を出ていきます。そして、この国からも出ていきます。だから、わたしはこの地の周辺の地図とコンパスがほしいのです」
「入ってくるなり、何だ。どうして大切なお前を外へ出せようか」
 顔をしかめて父は言った。兄姉たちも、砂雪の顔を睨む。まるで、父の機嫌を損なうな、と言っているようだった。父は怒ると怖い。しかし、そんな視線にも砂雪は気圧されることはなかった。
「誰もわたしの言うことを信じてくれません。それならば、わたしだけでも助かりたいのです。死にたくありません」
「砂雪、また馬鹿なことをお前は言っているのか。この砂漠を一人で歩く方が、自殺行為だぞ」
「馬鹿なことではありません! 今までとは感覚が違うのです! 今日は大変なことになりますよ!」
 砂雪があまりにも大きな声で怒鳴ったので、その場にいた者は皆驚き、目を丸くした。
「もし、お前の言ったことが嘘であっても、この城には帰ってくるな」
 父はそれだけ言うと、あとは黙り込んでしまった。出ていってもよい、ということだと砂雪は受け取った。
「後悔しますよ。お願いですから、早く国の警備を強化しておいてください」
 そう最後に言うと、砂雪は部屋を出ていった。部屋の外に立っている兵士から砂漠の地図とコンパスもらい、荷物を取りに戻った。
「もう出ていこう。ここには二度と戻らない。心残りがあれば、わたしに言って」
「いいえ。わたしには大切なものや人は、姫さま以外ありませんから」
 侍女は、真顔で言った。侍女は、これがいつもの家出未遂だとしても、姫についていこうと思っていた。
「ありがとう。さ、出ていきましょう」
 そう言って、砂雪が鞄に手をかけたときだった。
「大変です! 東国の軍隊がこちらにやってきました!」
 皮の鎧を身につけた兵士が槍を片手に、青白い廊下を走ってきた。砂雪の目の前をさっと過ぎ、父のもとへ行ってしまった。
「どうしてかしら。あの音の速さだと、こんなに早くここまでやってくるはずがないのに」
「とにかく、姫さま! 今、外から攻めてきているのなら、ここから外に出るのは危険です! 国外に逃げようとするより、自室の方が安全だと思います。避難しましょう!」
 侍女は素早く砂雪が手に掛けていた荷物と、彼女の手を取り、部屋の方へと走っていった。
 侍女に手を引かれ、走っていく姫は頭の中が混乱していた。自分の言っていたことが本当であったこと、この町が危ないということ、しかも攻めてきたのが東国、つまり恐ろしい種族であったこと。そして、どうやって逃げようかということ。全てが頭の中でごちゃ混ぜになっていた。だんだんと呼吸が荒くなり、心臓がどくんどくんと動いていた。自分自身の激しい脈拍で、頭がくらくらする。
 侍女が急に足を止めたので、砂雪はドン、と思いきり彼女にぶつかってしまった。気がつけば自分の部屋の前だった。
「姫さま、今は部屋でいましょう。落ち着いて、冷静に」
 姫を安心させようと、侍女は微笑んだのだが、少女の笑みでは彼女の恐怖する気持ちを変えることはできなかった。砂雪の細い指先は小刻みに震えていた。
「窓……。そうだわ、窓から外の様子を見てみよう」
 砂雪は気を取り直して、窓の方へ歩み寄っていった。
「姫さま、危ない! 窓から……」
 ひゅん、といきなり窓から矢が飛び込んできた。矢は白くて固い壁に当たると、刺さらずに、からんという音をたてて床に落ちた。まるでそれを合図としたかのように、次から次へと矢が窓から飛び込んでくる。鋭い矢尻は、砂雪のタンスやテーブル、ベッドにも突き刺さっていった。

≪BACK / NEXT≫

template : A Moveable Feast