夜、眠れなくなることも度々あった。学校から帰ってすっかり疲れ、頭痛を起こし、おまけに入眠障害だなんて、これが高校生だろうか。入眠障害というのは大袈裟な表現で、ただちょっと、思うように眠れないだけだ。それでも、以前とは違う自分の変化が恐ろしい。
今夜も、体はすっかり疲れているのに、眠れなかった。枕に頭を押しつけ、柔らかいタオルケットを被って、眠りに落ちる瞬間を待っていた。ところが、寝ようと思えば思うほど、目も頭も冴える。わたしは焦る。せめて、空が白む前までには眠ってしまいたい。明日も学校があるんだ。寝なきゃ動けなくなる。眠れ眠れ眠れ。呪文のように何度も頭の中で反芻しても、無駄だった。
仕方がないので、蛍光灯を点け、急に明るくなった空間で目を慣らした。とりあえず、頭の疲れることをして眠ろう。
小説を読もうか――細かい文字を読む気力なんてない。では、漫画を読もうか――本棚の奥にあって、取り出すのが面倒。それじゃあパソコンの電源を入れようか――椅子に座るのは疲れる。
色々考えて、最後に残ったのはカッターナイフだった。
わたしの行為を、異常だと見なして、認めない人は多い。
ホームセンターで購入した切れ味の良い、カッターの替え刃を一枚取り出した。百円均一で売っているような刃と違い、色は黒く、防錆の油で表面は虹色に光っている。表面の油をティッシュで拭うと、刃先を左肘の内側に当てた。そして、右手に軽く力を込めて、すっと刃を引いた。柔らかな痛みとは関係なく、赤黒い血がぷくぷくと傷口から浮き出てきた。血の雫が少し大きめのビーズのように膨らんだ頃、新しいティッシュを取り出し、拭った。
それを何度も何度も繰り返す。細い傷の集まりの、五センチほどの帯がわたしの腕に刻まれた。これ以上傷の帯が増えたら、人に見つかるだろう。切る面積を広げたくはないので、傷の上に傷を作っていく。
赤いティッシュを隠滅しようと、紙にくるんでゴミ箱に捨てようとしたとき、自分のミスに気付いた。明日は体育の授業があったのだ。着替えの時、この汚い傷跡を友達に見られてしまうかもしれない。でももう、いい具合に眠たくなっている。明日は明日で何とかしよう。どうでもいい。どうにかなる。
自分で自分の手首を傷つけるのをリストカット、腕を傷つけるのをアームカットと呼ぶ人がいる。それでは、足首はアンクルカットと呼ばないのだろうか。それはどうでもいい。ただわたしは、そのようなカタカナのファッションめいた呼び方は好きではなかった。
わたしは自分の心を静かにさせたいし、眠りたいから切るだけだ。これで死ねるとは思えないし、死ぬつもりも全くなかった。また、誰かに知られて、心配させるのも嫌だった。
でも、誰にも知られずに、一人静かに自分の腕を切っているのを時間を置いて客観視すると気分が悪くなる。自分の腕を切っているときは、感情がフラットになっている。思い出せば怖いと感じるくらい冷静に、血の出る腕を観察し、処理している。
本当は、この行為をやめてしまいたかった。