少女は話し終えた。声はすっかりかすれてしまっていた。聞き取りにくいため、母は、少女の傍らに移動していた。
「ごめんなさい。あなたの大切な人を奪って。空白を返すことはできませんが、わたしにできることがあれば、何でもします。死ねと言うなら、死にます」
泣きながら、少女は言った。
母は、平手で頬を叩いた。叩いたときの音は、雨音に飲まれて聞こえなかった。
「馬鹿言わないで。あなたは死にたいのでしょう? 誰があなたの望みを叶えてあげるものですか。
わたしもね、何もかもどうにでもなってしまえ、と思っていたときがあったわ。でもね、わたしにはティルがいる。あの子を見捨てられなかったの。フーゴと違って、勇気がなかったの。
……あなたも勇気がないのなら生きなさい。わたしがあなたを殺さない。苦しんで、苦しんで、生きなさい」
母は少女を抱きしめた。憎み、哀れんだ。
少女は、ティルよりも年上だった。弱い心のまま、強く、生きてきた。しかし、「少女」だった。
雨がやみ、母と少女が帰ってきた。二人とも沈んだ顔をしている。何かあったな、とティルは思った。
無言で夕食を済ませ、少女は先に眠った。
「母さん、何があったんだ」
母は、ティルの目を見つめながら、少女が話してくれたことを、簡単に話した。
「父さんはね、わたしたちが、愛していないと思ったんだって。だから、帰ってこなかったんだって。あんなに、愛していたのに」
テーブルの上の、空の皿をティルは睨んだ。
「母さん、父さんは、神経質な人だ。俺たちが愛していても、形がなければ、不安だったんだよ。俺は、何となくわかる。父さんの子だから」
「わたしが、もっと、笑っていたら、元気でいたら、よかったのかしら」
「いや」
ティルは皿を手に取った。
「もっと、お互い、分かり合う努力をしなくちゃいけなかったんだ。ぶつからないようにしていたからね」
「そうね……」
ティルは皿を洗いに、外へ出た。何が悲しいのかわからない。ティルの目から流れる涙は、意志では止められなかった。
次の日、薪割りをしているティルに、少女は近づいた。
「わたし、まだ話していないことがあるの」
ティルは少女の方へ、目も向けずに「昨日、母さんから聞いた」と、素っ気なく言った。
「続きがあるんです」
「何だよ」
「あなたのお父さんは、フーゴは生きています」
ティルははっと、少女を見た。少女は、申し訳なさそうな表情で、直立している。陽光が不似合いに、彼女を美しく照らす。
「わたしは、逃げ出したのです。フーゴはあなた方のことや、この家のことも話してくれました。だから、ここへ逃げて、あなた方からフーゴを奪った罪を償うために、あなたに殺されてしまおう、と考えていたのです。もう、死ねませんが」
ティルは無表情のまま、斧を片手に、少女の方へ歩み寄った。
「父さんは、どこに?」
「この大きな森を、抜けた先に。あの人を、迎えに行ってあげてください」
少女は、ティルの腕を強く握った。ティルは眉間にしわを寄せ、複雑そうな表情だった。
「迎えに行きましょう」
母が、家から出てきて言った。
「もう、次は大丈夫よ」
そして、母は少女の方を向いて言った。
「リーゼ。あなたは、人のいるところで暮らしなさい。やっぱり、わたしには、あなたと一緒に暮らすことはできない。でも、あなたに死なれたら困るから、人と暮らしなさい。まだ若いのだから」
風が吹いた。軽く、乾いた風は、短く細い草を揺らし、三人の髪を撫でていった。
「はい」
リーゼは素直に返事をした。
数日後、ティルと母は、父のフーゴを迎えに行く。フーゴは生きているかどうか、わからない。それでも二人は、生きていると思いこんで、森を歩くだろう。
リーゼは、近くの村で暮らすことにした。母がその仲介をしてくれた。これから、新しい生活で何が起こるのかわからない。
それぞれ、中身はまだ、大きく変わってはいない。始まったばかりなのだ。
<終>