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カスタマイズ・ドール
[5] 砂に似た幻想

「それじゃあ、人形が人間になる方法は……」
 男の話を聞き終えた佐山は、ゆっくりと話を整理しながら言った。
「ああ。『呪文』を唱えてもらうのさ。俺はやっぱり他人にこんなのは押しつけられなくて、諦めて、ここに戻ってきたんだ」
 男は笑顔のまま、佐山を見た。
「あんたは俺のように、魔術でどうにかなるようには思えないな。何か、違う次元で動いているような気がする。でも、もしも人間になりたいなら、その男と試してみてはどうだ」
 佐山は困ったふうに僕を見た。僕は意外と簡単な方法に驚いていた。佐山が人形であることを、僕が否定してあげるだけなのだ。
「わたしは人間になりたいの」
 薄紅色の唇は、はっきりと動いた。
「でも、もしもあなたが人形になってしまったら、わたしは悲しい。人の形をして、人でないことはどれだけつらいのか、わたしが一番分かっているから、そんなのあなたに押しつけられない」
「佐山、僕は別にいいんだよ」
「わたしが良くないのよ」
 僕と佐山は、しばらくにらみ合うように見つめ合ったいた。
「じゃあ、これはどうだ」
 急に、男が割って入ってきた。何となく、何を言いたいのかわかっている。
「あんたが人形になりたいのなら、俺と代わってくれ」
「それは……」
 僕は迷った。人形になりたいのは、佐山と同じになって、佐山をより理解したいからだった。でも、僕は目の前の男人形を好きになることはできなかった。彼は佐山のような人間らしい人形ではなかったからだ。笑顔も声も、振る舞いも全て、嘘臭かったのだ。僕は、彼のようになりたくはなかった。
「あなたが人形になったら、わたしが困る」
 佐山はぎゅっと、僕の服の袖をつかんだ。
「わたしが人形に会いたかったのは、どうすれば人間になれるのかを知るためじゃなかったの。どうすれば、動けなくなるのかを知るためだったの」
 佐山は僕に向けていた潤んだ瞳を、男に向けた。
「ねえ、あなたはどうすれば動きが止まるのか知らない? わたしはもう、このままここにいるのはつらいのよ」
 今度は僕が、袖をつかむ佐山の手を握り返した。
「佐山、どうして?」
「人形は、人間にはなれないのよ。だから……」
「僕が何とかするから」
「あなたは何もできないでしょう?」
 僕は、何もできないことを佐山に言われ、無力さを改めて自覚した。そうだ、何もできないから、一緒に逃げていたのだ。
「動きを止める方法ならあるよ」
 男は椅子に座ったまま、僕たちに言った。
「身体を分解して、頭を壊すんだ。そうすれば、ただの無機物に戻る」
 佐山はぱっと目を輝かせた。
「それは本当?」
「ああ。でも、生き物が普通、自ら死ねないように、人形も、自ら破壊することはできない。また、人形同士で破壊できない。だから、そこの男しか、今、あんたを壊せる人はいないんだよ」
 僕は佐山のすがるような目がつらかった。僕が佐山を壊す? それは無理だ。佐山のことが大事なのに、壊せるわけがない。
「佐山、僕に無理なことは頼まないで」
「じゃあ、俺があんたに代わって、佐山を解体してもいい。あんたが俺と代わってくれれば、の話だが」
 僕は男を見た。男は楽しそうに笑っている。彼を信用してもいいものか分からない。
「そうして。彼ならしてくれる」
 もしも僕が断ったら、どうなるだろう。このまま佐山と共にいたら、佐山は永遠に僕に「壊してくれ」と懇願してくるだろう。想像するだけで、耐えられない。好きな人を助けてあげられず、願いも叶えてやれないまま一緒にいるのはどんな気持ちだろう。
「あなたが僕たちを裏切らないなら」
「裏切らない」
 僕は今度は、佐山から逃げるために、人形になることにした。
 入れ代わるのは、あっという間だった。人形に「呪文」を言ってやるだけで、すぐに僕の肉体は密度の高い物に変化した。そして、男の言ったように、感覚の上にフィルターがかかった。
 男の方は、表情に人間らしさが蘇った。嘘臭い笑顔は消え、喜びで瞳が輝いていた。
「ありがとう。ずっと待っていた甲斐があった」
 人間に戻った男の声には、張りが生まれ、抑揚の中には感情が混ざっていた。僕にはもう、それらが失われているはずだ。
「佐山のことを忘れないでくださいよ」
 試しに声を出してみたら、その人形らしさに衝撃を受けた。でも、後悔しても遅い。
「安心しろ」
 そう言うと男は、美術館の奥の方から工具セットを一式持ってきた。
「道具はほかの人形のメンテナンス用に揃っているんだ」
「まさか、あなたがほかの展示されている人形の世話を?」
「管理人が定期的に来るんだ。人形に人形の世話はできないようになっている」
 僕は、その意味がよく分からなかった。でも、今は人形だから、後で人形に手を加えられるかどうか試せるのだ。
 男は手際よく佐山をロープで縛り、動けなくなるようにした。
「人形といっても、痛覚があれば暴れ回るから、まず手足からのけていくぞ」
 男はそう言って、佐山の細い腕に、ナイフを当てた。
「我慢してくれ」
 その場にいた全員が、見たくもない光景から目を逸らした。僕は目を閉じた。佐山の息の漏れる音がした。
「どういうことだ?」
 狼狽える男の声が気になって、僕は目を開けると、信じられないものを見てしまった。ここにいる人間の数は、一人だけのはずだった。
「お前、最初から人間だったんだ!」
 男がナイフで切った腕から、血が、照明に照らされ、鈍く輝きながら流れていた。
「嘘、わたしは人形だったはずよ」
「いや、人間だったんだよ。多分、思い込んでたんだ。そうかそうか」
 男はナイフを床に放り投げて、ポケットからハンカチを取り出した。そして、佐山の傷口にハンカチを当て、僕の方を見た。
「どうする?」
「どうするって? 僕も信じられないよ」
 そうだ。僕は確かに佐山の歯車の音を聴いたし、彼女に体温がないのも確認していた。あれは全て僕の勘違いだったのか? 人形の佐山に恋をしていたせいなのか?
 男は佐山の動きを封じていたロープを優しく解きはじめた。
「あんた、こういう話を知らないか? 人形の女に恋した男がいた。男は女のことを、人間だと思い込んで疑わなかったから、女の人形らしさなど男の眼中になかったんだ。全て男にとって都合のいいように受け止めてな。それで、女が本当は人形だったと、男が気付いたら、男は気を狂わせてしまったんだよ」
「そんなこと、ありえない」
「俺も、ただじっとここにいたわけじゃないんだ、人形に関する話は色々聞いた。まあ、それは作り話だけど、今、実際に起こっているじゃないか。あんたは狂わないのかい?」
 男は笑っていた。嘘臭い笑みよりも、何よりも、僕にとって屈辱的な笑顔だった。
「佐山! 僕を壊してくれ!」
 男の隣で呆然と座り込んでいる佐山は、名を呼ばれて、びくりと反応した。
「無理よ」
「何でできないんだ! 君は人間だろう!」
「あなたがわたしを壊せなかったように、わたしにもできないのよ」
 佐山は座ったまま、大変気の毒そうに、立ち上がって叫ぶ僕を見上げていた。なぜか、そのときには、人間の彼女には魅力を感じなくなっていた。僕にかかっていた、ある種の魔法が解けたようだ。
「わたしが人形であろうと、人間であろうと、わたしは人間になりきれないの。だから、あなたにはいてほしいの。一緒に、また、逃げましょう?」
「そんな。僕がこんな姿になってもか!」
「あなたは人形になりたいって言っていたのに」
 佐山は今までにない僕の剣幕に戸惑っているようだった。僕はそのとき、今まで佐山に対して優越感を多少抱いていたことに気付いた。ありもしない余裕があったからこそ、彼女に優しく接し、人形になりたいなどと言えたのだ。無性に恥ずかしくなった。
「……もういい。二人とも行ってくれ。僕はここにいるから」
 男は言われるがまま、佐山を抱え起こし、美術館の出口へと向かった。佐山は何度も僕の方を振り返って見ようとしたが、そのたびに、男は彼女を前へ押した。
 誰もいなくなった美術館を、僕はうろうろと歩き回った。ガラスケースに入った動かない人形が恨めしい。この、どこから湧き起こるのか知らない意識を消してしまいたかった。あの男は何年、人間に戻るのを待ち続けたのだろう。
 人形を見飽きた僕は、男が座っていた椅子に腰掛けた。
 ゆっくり瞳を閉じた。佐山はこれからどうするのだろう? 自分が人間であることに気付いた彼女は、どう生きるのだろう? 彼女への気持ちは冷め切っていたが、気がかりであることには変わりなかった。
僕は人形らしくじっとして、自分の気が狂ってしまうことを、待つことにした。

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