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正常のために - an insane attempt -
† † †
It was hateful of him to do that.

「山本さんがミイラを作ろうと思ったきっかけは? 本当にただ作りたかっただけ?」
 僕は彼女の視線を振り払うように、手元の猫の死体に目を遣った。
「本を読んだのよ。ミイラを作る女性たちが出てくる本を。幻想的で、素敵でね、自分もミイラを作ってみたいと思わせるような本よ。宮武君は、本当に殺してみたかっただけなの?」
「うん。僕の経験の中に、入れてみたかっただけ」
 本当に、最初はそれだけだった。
 でも、実際に殺した後、新聞やテレビで殺人事件が流れるたび、この茶色い猫のことを思い出す。あの感触が蘇り、手を何度も洗った。洗面台の鏡で青ざめた顔を見て、自嘲した。そして、このままではいけないと思い、猫の死体をちゃんと埋めてやろうと思い至ったのだ。
「……そうなの。わたしはどうしても、ミイラを作りたかったの。学校でいる間も、家でいる間も、ずっとこのことばかり考えてた。でも、ミイラを作るからには、死体がなくちゃいけない。だからわたしも猫を殺そうと思っていたの。それで、用意をしようと思ってここに来たら、都合よくあなたの殺した猫の死体があった。手間が省けて……感謝はしないけどね」
 衝動的ではなく、計画的に行動する。でも、僕たちの行為は異常なんだろう。
「僕はもう、この猫を埋めてやりたいんだ」
「何言ってるのよ。まだ未完成なんだから。季節的に悪くて、完成までに時間がかかるのよ」
「でも、猫を殺したのは僕だし。僕はこの猫を埋めてやらないと、終わらないんだ」
「終わる?」
 山本は首を傾げた。
「猫を殺してからずっと、気分が悪い」
「自業自得よ。わたしはむしろ楽になったわ。作業に夢中になって、ほかに何も考えなくてすむ」
 彼女の目はらんらんと輝いていた。あの、黒猫と同じような、僕が嫌悪感を抱く目つきである。僕も、あのような目で、猫を狙っていたのだろうか。
「おかしいよ」
「それは宮武君の方でしょ。返して」
「嫌だ。僕は猫のためよりも、自分自身のためにこの猫をちゃんと土に埋めて葬ってやりたい」
「返して!」
 急に、目に何かが入った。痛くて開けられない。その隙をついて、手の中の猫を山本に奪われてしまった。僕がまだゴム手袋をつけているのだから、彼女は今素手で、あの悪臭の塊に触っているはずだ。
「わたしはミイラを完成させなきゃいけないの。完成させないと、わたしがわたしでいられなくなる気がする」
 やっと目が開いた。僕の制服に白い粉がかかっている。山本は炭酸ソーダを投げつけたようだ。その、投げつけた本人はやはり、素手でくたびれた死体を抱えていた。僕は冷静に、汚れて臭いがついて、大変だろうな、と思った。きっと彼女の方は冷静ではない。
 お互い、正常ではない。僕は猫を殺してしまったことに、彼女は猫のミイラを作ることに取り憑かれている。彼女が自分の衝動で苦しいのは、何となくわかる。でも僕には、自分を後回しにして、彼女を解放させる気はなかった。もう、悪夢を見たくない。
「山本さん、ごめん」
 僕は手のふさがった彼女の肩を強く殴りつけた。彼女も、猫と同じように僕より弱かった。山本は倒れた。でも、猫を放そうとしなかった。じっと僕を睨み付けている。その目を含めた顔を殴るのが怖かった。僕はもう一度、猫を抱く腕を殴った。彼女は痛そうな顔をしたが、声もあげなかったし、逃げようともしなかった。
「僕はこんなことをしたいわけじゃないのに」
 つぶやいた声が震えた。
「普通のフリして生きるのは大変ね」
 山本は倒れたままの姿勢で、不利だというのに僕を見下すように言う。彼女の言葉には同意する。でも、僕と彼女は分かり合えないのだ、と彼女の態度を見ていて思った。僕と彼女に、何の違いがあるのだろう。
 僕はあきらめた。
「ミイラを完成させたら僕の代わりに、猫を埋めてやってくれる?」
「それで宮武君がいいのなら、そうする」
 山本は微笑んだ。急に、先ほどまでと違い、悪臭がリアルに僕の鼻をついた。大袈裟に顔をしかめる。
「これはお互い、秘密にしておこう。僕はなるべく、今日の山本さんを忘れるから。正常なフリのために、頼むよ」
 僕はゴム手袋を外して、彼女に渡した。彼女は受け取りながら、わかった、と返事した。
「じゃあ、またね」
 山本はそう言ったが、次に学校で会うときの山本は、ここにいた山本ではないのだろう。僕は猫の死体に背を向けて、家に帰った。

 家に帰ると、自分にあの死体の臭いが染みついていることに気付いた。
「シャワーで臭いを落とせば、僕は解放される」
 その言葉は暗示だった。猫を葬ってやれない僕は、山本に託して、シャワーを浴びる。僕自身は猫にとらわれたままだから、何か別のものですり替えなければならない。
「水で臭いが消えれば、僕は正常になれる」
 何度も呪文を唱えて、シャワーから流れ出る水を浴びた。無色透明な水が、排水溝に向かって流れていく。僕は、僕の認めたくはない部分も、排水溝へ流れて、帰ってこないことを願った。
「僕は普通になりたいんだ……」
 激しい雨にも似た音を、感傷的に聴きながら石鹸を泡立てた。人工的で、清潔な匂いがした。

* insane … 正気でない、狂気の、精神異常の《madより弱く凶暴さがない》
* an insane attempt … 突飛な試み

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