Home : 出さない手紙について
正常のために - an insane attempt -
 †
It takes all sorts to make a world.

 ひどい悪臭がする。僕はこの臭いを知っている。それは腐る死体の臭いだ。
「何してんだよ」
 僕に背を向けて屈んでいた女がびくっと身じろぎし、動きを止めた。そして、僕の方へ振り返り、目が合うと、緊張していた顔を弛めた。
「なんだ、宮武君かぁ」
 山本瞳は高校の知り合いだった。でも、こんな所で彼女と会うのはおかしいのだ。ここは、高校の近くの山の麓だから。何の用もなしに、人気のない木々の間にいるはずがない。
「なあ、何やってんの」
 この状況で、何か人に知られたくないような、よくないことがあるのは容易に想像できる。だからこそ僕は聞かずにはいられなかった。やはり、山本は困った顔をした。
 僕は山本が答えようとしないので、彼女の背後に置いてあるものを見た。何か、白っぽい塊。彼女の手を見ると、ゴム手袋をしている。
「これ、何だよ。臭いよ」
 白い塊を指さすと、彼女もその方を見た。空気が、彼女の静かな緊張によって凍っていくのがわかった。気まずさが増していく。おそらく、彼女にとって、「何か人に知られたくないような、よくないこと」とは、この白い塊のことだ。
「ミイラの作りかけ」
 彼女の返答は、棒読みだった。緊張した声は、僕の反応をうかがっている。隠すのも、誤魔化すのもあきらめたようだ。
「何で、ミイラなんて作ろうとしたの」
「作りたかったから」
「そう」
 僕は作りかけのミイラを凝視した。茶色い毛の生き物に、白い粉がたくさんまぶせられている。大きな黒い蝿の羽音がする。
「これは、元もと何だったの」
「猫よ。ここに死体があったの。可哀相にね、逃げないように後ろ足の骨を折られた上に、首を折られて殺されてる。非道いよ」
 声色から、山本は心からそう思っているようだ。僕はそれに疑問を感じた。
「山本さん、君は自分のやってること、非道いと思わないの」
 彼女は僕の顔を、怪訝そうに見た。
「わたしは、猫を殺そうとは思っていないし、殺してない。ただ、ミイラを作っているだけ。悪いことはしていないわ」
「悪いこと、ね……。じゃあ、みんなに山本さんはミイラ作ってるって言ってもいいわけ?」
「駄目。変態だって思われる」
「そうだろうね。変だと思われたら困るだろ」
「そうよ。だから秘密にして」
 僕は彼女よりも、悪臭を放つ死体の方にばかり気を取られていた。
「秘密にするから僕にも手伝わせてよ」
 山本は軽く息を吐いた。
「わかった。この炭酸ソーダを詰め直してくれる?」
 山本ははめていたゴム手袋を脱ぎ、手袋と粉の入った小さな布袋を一緒に渡した。僕は手袋をはめ、内臓を取り除かれ、まだ柔らかい猫の死体から、脱水し終えた炭酸ソーダを取り出し、新しいものを詰めた。頭が痛くなるほど臭い。
 だんだん、悪臭で僕の中の何かが崩れていく気がした。突然、ふっと、嫌な臭いが消えた。僕の鼻が、脳が、受け付けなくなったように。そして僕は、口を開く。
「……猫を殺したのは僕だよ。僕がここに来たのも、死体をちゃんと葬るためだった」
 僕の突然の告白に対しては、何のリアクションもなかった。山本は無表情なまま、僕を直視していた。猫の死体に蝿が取っつこうと、僕の周りを飛んでいる。
「何で殺したの?」
「殺したらどんな気持ちになるのか知りたかった。想像力乏しいからさ。実際やってみてわかった。でも、楽しくはないね。その点、僕は正常だ」
「いいえ、異常よ」
 山本は僕を、軽蔑した目で眺めていた。その視線は、決して気持ちのいいものではなかった。僕は彼女を同類だと思って告白してみたのだが、彼女はそうとは思っていないようだった。

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