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Home : 出さない手紙について
一夜

「開けておくれ」
 かすれてはいるが、聴き覚えのある声。
「僕だよ、ヴァレリー。わからないのかい?」
 もちろん、ヴァレリーは声の主が誰なのか、わかっていた。しかし彼女はまだ、暗い天井を見つめ、布団の中で考えている。
「ねえ、お願いだ。この戸を開けて、その暖かい家の中へ僕を招いておくれ。ここは暗くて寒いんだ」
 みしりとドアに人がもたれかかる音がした。
 家の外にいる者には、ドアを開けて、中へ入る力は無かった。ヴァレリーもそれを知っている。
 ヴァレリーは起きあがって、枕元のランプに灯をともした。淡い黄色い光のランプを片手に、彼女はドアへ歩み寄った。
「ごめんなさい。わたしに、この戸を開けることはできないのです」
 申し訳なさそうな声が、夜の闇に吸い込まれた。
 もしも、外の者が何のためらいもなくノブに手をかけ、ドアを開けて、ヴァレリーを抱き締めることができたなら、ヴァレリーも、今、このように悩まずに済んだ。
「なぜ? 君は僕を愛していなかったのかい?」
「あなたはもう、死んでいるのよ」
 ヴァレリーは力なく言った。男は黙り込んだ。
「言われているの。墓から出てきたあなたを中に入れては駄目と」
「そんな……」
 外ですすり泣く声が聞こえる。
「せっかく、神様がもう一度命を与えてくださったんだ。君に会うための命をくださったんだ。お願いだ、もう一度僕に顔を見せておくれ」
「無理よ。あなたはもう、わたしの知っている人じゃないもの」
「ああ、もうすぐ夜明けだ。お願いだ。早くその戸を開けて、僕を中へ入れておくれ」

***

 ヴァレリーの恋人は、一月前に病で亡くなった。
 彼女を救うために説明するが、ヴァレリーは恋人の傍らにいたかった。熱で苦しみ、うめく恋人の手を握っていたかった。
 しかし、村では流行病が蔓延していた。既にたくさんの人が亡くなっていた。なんとか病をくい止めなければならなかった。
 そこで、病人を村のはずれの小屋に集めて、放置した。見舞いに行くことも禁止した。
 ヴァレリーは恋人の傍らにいたかった。優しい低音の声を聞いていたかった。彼女の願いは、村という大きな集団の力のために、阻止されてしまった。
 やっと、恋人の顔を見られたのは、彼が死んで、棺に納められたときだった。白い服を着て、血色を失った彼は、死ぬまでヴァレリーを待っていただろう。
 ヴァレリーは大きな墓石を見ながら、深緑の木の下で泣いた。村を呪った。

***

 昨日のことだ。
 彼女が一人、物思いに耽っていると、村の役人が訪ねてきた。役人は、恋人が墓から出てきたので、訪ねてきても中に入れるな、と言った。
 一瞬、耳を疑った。生き返った? いや、遺体は確かに冷たかった。彼女は混乱したが、すぐにわかった。
「吸血鬼になったんですね」
「そうだ。今、身を潜められそうな日陰を見回っているんだが、まだ見つからない。気をつけなさい、あなたも殺されてしまう」
 この地方では、死体が吸血鬼と化し、人を殺す、と信じられていた。実際、死体が何度か動きだし、人を殺している。
 彼女は、恋人が生き返ったことに、少しだけ喜び、恐怖した。

***

「どうして、あのとき会いに来てくれなかったんだ? 僕は君を待っていたのに」
 どんどん、とヴァレリーの背中越しにドアを叩く音がする。両手で耳を覆った。悲しそうな恋人の声を聞くのは辛いことだ。
「言わないで! わたしだって、あなたに会いたかった!」
「じゃあ、開けておくれよ!」
「それはできない!」
 ――もしも開けてしまったら、村人に、なんと言われることか!
 彼女ははっとした。
 ――あんなにも、村を憎んだのに、まだ、村のことばかり考えている。世間体が、そんなにも大切なのだろうか。恋人に会うことよりも。
 心が揺らぎ始めた。ドアのノブにそっと触れた。
 ――だめ、彼は吸血鬼。開ければ殺される。
「ごめんなさい」
 ノブに手をかけたまま、謝った。
「君は僕に会いたくないのかい? お願いだ、もうすぐ夜が明けてしまうから、早く中に入れておくれ」
 実際、空が白みかけている。ヴァレリーも、東側の窓からそれを確認した。あともう少し、我慢すれば全てが終わる。
「君はもう一度、僕を殺すんだね! 僕の二つ目の命まで、葬ってしまうんだね!」
 恋人の低音が、彼女の心に滑り込んだ。さっと、恋人の葬儀が頭をよぎった。
 ――わたしは、彼の死をもう一度見るなんて、いや。もう、村なんていい。殺されたっていい。彼のいない残りの人生を生きるのは辛すぎる。
 ノブが回る。はじめから、鍵もかかっていなかったドアは、あっけなく開いた。
 外には、黒髪の男が立っていた。すっと伸びた足は以前と変わらず、白い服の質感からわかる、筋肉質だった体つきも変わっていない。ただ、顔だけは、赤みのない、死人の顔だった。
「ヴァレリー……」
 男は微笑んだ。青白い顔が眼を細めて笑っている。
 ――やっぱり、もう、彼じゃない。
 ヴァレリーは落胆し、溜息をついた。それでも、男が抱き締めるのに、抵抗はしなかった。
「僕はね、君のために、わざわざ墓から這い上がって、じめじめとした日陰に潜んでいたんだよ。君が泣いていたから、この手でその涙を乾かせようと思ったんだ」
 優しい声が、直接身体に伝わってくる。熱のない彼の身体に、自分の体温が奪われていくような感覚に陥りながら。
 男の手が、そっとヴァレリーの首筋に触れた。その冷たさに驚いた彼女は、男から飛び退いた。
「どうしたんだ?」
 ヴァレリーは男の指を見た。爪が全てはがれている。血のようなものが、ランプの光で反射している。墓から抜け出す際に傷ついたものだろう。
「あなたは吸血鬼よ!」
 死の臭いを感じ取った彼女が叫んだ。自分の死を予感すると、殺されてもいいと思っていた心の奥底が、警報を鳴らすのだ。しかし、遅かった。
 男は口元を歪ませ、ぼろぼろの手でヴァレリーの身体を押さえつけると、何のためらいもなしに首筋に噛みついた。獣が本能で血管の位置を知っているように、男の牙は迷いもなく、血管に食いこんだ。
 男の唇が赤く染まりはじめる。血は男が飲む量よりも多く、溢れている。
 ヴァレリーは衝撃で、悲鳴をあげることもできずに、死んでしまった。まだあたたかい死体を、男は抱き締めて、少しだけ泣いた。

***

 夜明けを告げる鐘が鳴る前に、男は自分の手で殺めた恋人とともに、棺の中へ帰っていた。
 それを見つけた村人たちは、男と恋人の心臓に、太くて大きな杭を打ち、再び棺に納めてやった。

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