×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

 
Home : 出さない手紙について
あまりに非現実的な

 携帯へ知らない番号から電話がかかってきた。
 知らない番号からの電話は無視するように決めていたので、わたしは電話に出なかった。
 でも、一時間おきにかけてくるので、間違い電話ではないと気づき、五回目に若干緊張しながら出た。
「もしもし。僕だけど」
 ――僕だけど?
柔らかな、若い男の声だった。わたしは忘れていた。
「忘れてる?」
「誰?」
「『血に飢えた』僕だよ」
「ああ」
 真っ赤な血が、わたしの脳裏に蘇った。思い出した。あの少年だ。
 二月ほど前、街で偶然知り合い、彼の手首を切る作業を手伝った。彼は死ぬためではなく、生きるために自分の腕にナイフを突き立てていた。どうしてわたしは、そんな彼のことを忘れていたのだろう。
「病院に、見舞いに来てほしいな」
 少年の声に表情はなかった。
「何かあったの?」
「入院した」
 それだけでは、一体何が彼に起こったのかわからない。
「とにかく、来てほしいな」
「わかった。場所は?」
 少年は、彼のアパートから近くの病院の名前を言った。わたしは慌ててメモを取る。
「それとさ、あなたの名前は?」
「さとう、ひろあき」
 わたしは漢字がわからなかったので、一応、カタカナでサトウヒロアキと書いておいた。財布の中から電車代とお菓子が買えるくらいのお金があるか確認して、家を出た。

 病院は、風邪や怪我の際に行くのでいい思い出がないせいか、苦手だった。人を無理矢理に静かにさせる重い空気が、足を一歩踏み入れたとたん、感じられた。
受付の人に、サトウヒロアキの病室を尋ねた。受付の女性は若く、笑顔の素敵な人だった。わたしは、少年の笑顔を思い出した。女性は彼女の雰囲気に合った、優しい声で教えてくれた。
 部屋を間違えないように、病室の前に記されている名前のプレートをよく見て確認する。女性の教えてくれた病室の前で、汚く「佐藤弘彰」と書かれたプレートを発見した。なぜか緊張しながら、部屋に入った。
 心配しながらあたりを見渡すと、少年が軽く手を振った。彼の短かった茶の髪は伸びているようで、二月の時間はちゃんと経過していた。
「本当に来てくれたんだ。ありがとう」
 少し嬉しそうだった。
「見て」
 少年は、わたしに右腕を見せた。白い腕の先にあったはずの手首から上が消えていた。そして、腕の先端は包帯で丁寧に巻かれていた。
「……どうして」
 衝撃的な映像に対して、わたしがやっと言えたことだった。
「驚いた? いきなりごめんね」
 わたしは黙ったまま、少年の腕に目が釘付けになっていた。少年も、自分の腕に目を遣った。
「僕の手首ごと、母さんに切られたんだ。痛かった」
「お母さんに? どうして?」
「聞いてくれる?」
「ええ」
「じゃあ、椅子に座って」
 少年は、左手の人差し指で、ベッドの側にある椅子を示した。わたしは腰掛けて、少年の顔を見た。白くて穏やかな顔。でも、少年の方から、目を合わせようとはしてくれなかった。
「……僕さ、島出身で、高校に行くために安いアパート借りてて。あ、君を入れた部屋ね。一人暮らししていたんだ。一人だと、何でもできるんだ。僕を監視する人間なんていないからね。
だから刃物で自分の身体を傷つけて血を眺めていた。すね、太股、腹、腕、どこでもいいからナイフや包丁を使ってね、深く切るんだ。痛みなんてなくて、その割に血だけ湧くように流れ出てくる。見ていて、すっとする。傷がふさがれば、別の場所へ。その繰り返し」
 再び、わたしはこの前の出来事を思い出した。「痛くて怖い」と言いながら、病的に切り続ける彼。
「連休に、家に帰って、母さんに見つかって、大騒ぎ」
 急に、少年の口調が、変わった。生き生きとしている。
「母さん、鉈なんて振り上げて、僕の右手を掴んで、すごい勢いでね、切断。今までで一番、すごい量の血が溢れ出した。いや、溢れると言うよりも、何だろう、飛び出した。いつものよりも黒くないんだよ。鮮やか、鮮血。
死ぬかと思った。怖くなって、『死にたくない』って叫んで倒れた。そうしたら、放心状態の母さんが我に返って救急車を呼んで、助かった。島にはいたくなかったから、無理を言って、こっちに来た」
 少年は、軽快にしゃべる。それは、信じられなかった。彼の話している内容もそうだし、それを苦もなく言葉にできることも。わたしはその、腕よりも、彼自身の方が痛々しく感じられた。
「理解してもらえるかな。本当に、死にたくなかったんだ。自分の手が飛んでしまったことよりも、血がたくさん流れて、自分の熱が引いていく方が怖かった」
 ――熱。
 その言葉に、不思議と反応してしまう。熱とはわたしが、こだわり続けるものだった。少年は、わたしの方を見ていないので、わたしの反応には気にしない。
「生きたいと思いながら、今はどうすればいいのかわからない。
僕は、失血がひどくて、輸血が必要だった。ちょうど、僕と母さんは同じ血液型で、今、僕の中を母さんの生き血が流れている。あの、僕を支配する人の血がそのまま流れている。考えただけでぞっとする。この体で動き続けるのが怖いんだ。
自分も狂ってしまいそうで……」
「大丈夫よ」
「大丈夫なわけ、ないだろ」
 わたしには、何もできない気がした。でも、手首を切る彼に惹かれていた。だから、何かしてあげたいと思った。
「どうしよう、本当に。右手がないと、何もできないような気がする」
 少年の、深い溜息。この人の、右手になってあげられたらいいのに。
 病室の扉が開く音がした。反射的に、扉の方へ目がいった。中年の女性が、大きな紙袋を持って、こちらを見ている。
「母さん」
 彼の話の中に出てきた鬼女とはイメージの違う女性だった。少年に似て、美しい人だ。
「弘彰、その人は?」
 彼女に笑顔はなく、どこか警戒するようにわたしを見ていた。
「友達」
 少年の返事は、単語だった。少年の言葉を信用していないようで、訝しげな視線は、まだわたしに向けられていた。自然と空気が悪くなってくる。
「弘彰と話をしたいので帰ってもらえますか」
 怖かった。彼の話の中の彼女と、目の前の彼女のギャップ。そして、現在の冷たい態度。どれも怖かった。
「わかりました」
 わたしは椅子から腰を上げ、少年の母親に会釈をして、慌てて出ていこうとした。
「……ありがとう。話を聞いてくれて、楽になった」
 背後で少年の声がした。
 わたしにできることは、話を聞いてあげることくらいだった。そう気付いて、なんだか悲しくなった。でも、自分には何もできないわけではないことにも気付いた。
 心のどこかで、病的な少年と関わってはいけない、と言う自分がいた。彼に飲み込まれてしまいそうなのはわかる。でもわたしは、また彼に会おうと思った。

■ HOME ■

template : A Moveable Feast