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Home : 出さない手紙について
Artificial Eye

 同じクラスの鈴木優子は美人だ。
 鈴木の鼻はすっと高く、瞳は大きくて、澄んでいる。優しい声を発する口は大きくもなく、小さくもない。しかし、彼女は茶がかった髪を長く伸ばし、左目とその美しさを隠していた。あの邪魔な髪を除けば、誰だって彼女を美人だと思うのに、と俺は常々思っていた。
 俺は同じクラスの中で唯一、鈴木を美人だと思っている人間だ。幸いなことに、あのテレビから抜け出してきたような美しさは、誰も気付いていない。でも、俺もクラスの人間と同じように彼女の顔、右半分だけしか見ていないし、その右半分で推測して思っていた。
 ――あの髪をこの手で払えば、きっと右目と同じような、明るい茶の瞳が見えるのだろう。

 俺のクラスでは、月に一度席替えをする、というのがルールになっている。彼女は今、俺の後ろの席にいる。振り向けば、鈴木の顔が見える。プリントを渡すたび、美しい人の顔を拝められる。席替えは今の俺にとって悲しいことだ。
 だから、決めた。鈴木に言おう。

 朝、始業時刻ぎりぎりに入室する生徒が多いので、俺は余裕をもって登校した。鈴木も朝は早めに登校すると思ったからだ。
 が、予想は外れた。今まで、彼女は後ろの席だったために、俺は彼女がいつ登校していたのか、見ていなかったのだ。そこまで観察するのは、恥ずかしくてできなかった。鈴木は、予鈴のチャイムとともに教室に入ってきた。
タイミングは人のいない時、と決めていた。でもきっと、昼休み、放課後、次の日の朝、と機会を延ばし延ばしにしていれば、俺は何も言えないだろう。
 俺は軽く息を吸い込んで、後ろを振り返った。息の詰まりそうな緊張がした。
「鈴木、どこかに遊びに行こう」
 荷物を机の上に置いた鈴木は、目を丸くして、俺を見た。初めて、ちゃんと目が合った。
「え? どうして?」
「遊びに行きたいから」
 聞き耳を立てている静かな教室が気持ち悪い。みんなこの会話を聞いているような気がした。
「んー。別に、いいよ」
 あっけなく、都合のいい返事をもらえた。教室の雑音がよみがえって、チャイムが鳴った。

 秋が、冬に変わった。俺はあの後、上手くいって、鈴木と付き合うことになった。でも、結構な時間が経ったと思うのに、鈴木とはいまいち仲良くなれない。
 未だに「手を繋いでもいい?」ときくと、「駄目」とはっきり答えるのだ。冷たい。
 一緒にいれば、いくらか笑うし、どこかへ行こうと誘えば、嬉しそうについてくる。それなのに、手を繋ぐのは嫌だ、と言う。なぜだ。
 そういえば、鈴木はいつも左手に包帯を巻いていた。髪が目を隠すだけでなく、白い包帯が、手の甲を隠している。手を繋ぎたくない、というよりも手を触られたくないのかもしれない。
 さらに、彼女は自分の横顔を見られるのが嫌なようで、いつも、少しきつい口調でちゃんと正面から顔を見てくれ、と言ってくる。きれいな顔を正面から見られるのはいいが、なぜだ。
 俺に彼女を十分に理解するのは難しいことだ。自分以外の人間を理解することなどできないのだから当然かもしれないが。だからこそ、なおさら好きな彼女のことを理解したかった。
 映画を観に行った帰りに、きいてみた。鈴木は少しためらいながら、白い左手を俺の前につき出した。場所は人気のない公園だった。
「きっと、驚くわ」
 彼女は左手を俺に見せたまま、白い包帯を解きはじめた。白い包帯の下には、さらに白い包帯。何重にも巻かれた包帯は、距離をつかめない俺と鈴木の間のようだ、と柄にもなく思って見ていた。
「わたし、普通じゃないんだ」
 ようやく、白い手の甲が見えはじめた。
「ほら」
 くるりと手の甲を返した。
「あ」
 俺と、手のひらは、目が合った。そう表現するのが的確だ。鈴木の手のひらに、目玉がついていたのだ。鈴木のものと同じ色の、明るい茶。細く長い睫毛が、眼の縁をなぞっている。
「……冗談だろ」
「何が?」
 俺は鈴木の手のひらを指さした。目は一度、瞬きをした。ぞくっとした。
「わたしは冗談なんて上手に言えない。これ、本物。だから、この手は使えないの。手なんて繋いだら、痛いじゃない」
「そっか。じゃあ、反対の手は繋いでもいいわけだ?」
「この目を見た後でも、わたしと手を繋げる?」
 鈴木はちょっと、威圧的に微笑んで、ぐい、と手のひらを俺に見せた。目は何の感情も示さずに、俺を見ていた。俺は、鈴木がなぜそんなことを言うのか、一瞬わからなかった。
「繋げるよ」
 好きな人の手に触れることに、何の抵抗もなかった。だから、すぐに答えた。鈴木は不審そうに俺を見て、包帯を左手に巻きはじめた。器用に片手で巻き終えると、右手を俺に差し出した。
「変わってるわ」
 白くて細い指だった。俺は左手でその右手を包んだ。長く外気にさらされていたせいか、冷たくて、硬質な感じがした。でも、それが鈴木の手だった。

 それから、何度か会うたびに、俺は手のひらの目について尋ねた。彼女のことをもっと知りたかった。
 目は、生まれつき、左手にあったそうだ。家族は祟りだと心配して、何かの宗教に入っているらしい。特に母親は神経質で、毎朝よくわからない神棚にお祈りをしているらしいが、効果はない。
 彼女が目を隠す理由は、二つあった。一つは、人に見られたくないため。もう一つは、両目で見ることができないから。
 左目を使えば、何でも見えるらしい。
「こうすれば顔がよく見えるの」
 鈴木は右手で顔の目をふさぎながら、左手を立ったままの俺にかざした。俺と鈴木の身長差が、左手で埋まった。そんなふうにすれば、高いところのものも、狭い隙間の中もよく見える。便利だ。
 でも、右目と左目、両方を開いていては、見えるものの誤差が大きすぎて、まともにものを捉えられない。両方開いていると、気分が悪くなる。左目を開けていたら、手を動かすたびに見えるものが変わってくるのだから、普段開けてはいられないのだ。
 本当に、彼女の目はどうなっているのだろう。飾りではない。見えている、ということはあの細い腕に血管だけではなく、視神経も通っているのか。俺の高校生としての少ない知識で彼女の体の中を想像したが、目の前の事実は想像を超えていた。
 彼女の話は新鮮だった。左手から見える景色は、俺の知らないものだった。俺の知らない世界を、彼女は見ているのだ。俺は、その手に引き寄せられていった。鈴木は俺が感嘆詞を述べるたびに、眉をひそめて、「こんなの不便よ」と言った。でも、鈴木の思っている不便さは、みんなと違うということで隠さなければならない不便さだった。

「鈴木ってどんなの?」
 同じクラスの友人に、塾できかれた。鈴木には目のことは秘密にしておいてくれ、と頼まれているので目のことは言えない。
「綺麗な子」
 どれだけ側にいても、彼女は綺麗だった。美人は三日で飽きるだなんて、あれは嘘だ。
「そうか? あ、いや、俺がきいてるのは、鈴木ってどんな性格なのかなってこと」
「ああ、そういうこと。……ちょっときつい。愛想ないし、さっぱりしている」
「は? そんなのがいいの? それで好きなの? お前の趣味がわからん」
 友人は口を大きく開いて笑った。俺はちょっと腹が立った。
「お前はわからんって言うより、わかろうとしていないだけだよ。鈴木は飾らない子だから、一緒にいれば楽だし、一緒にいたいと思う」
「そんな、真面目に言わなくても」
 俺はつい、友人に真面目そうに言っていたらしい。それを指摘されて、少し顔が熱くなった。

 ファミレスで鈴木はなぜかステーキを注文していて、テーブルの上にはナイフとフォークが置かれていた。
「ステーキなんて、食べられる?」
 細い鈴木が肉を食べる姿が想像できなかった。
「うん、大丈夫」
 にこっと笑った。俺も微笑み返した。
 何も話すことがなくて、つい、鈴木の手元に目を遣っていた。すると突然、鈴木は何を思ったのか、包帯を外しはじめた。
「外してもいいのか?」
 鈴木は返事をしない。すぐに瞼を閉じた左目が現れた。右手でフォークを握る。そしてくっと下唇を噛み、目をえぐりはじめた。綺麗な顔を、苦痛で歪ませていたが、右手を止める気配はない。
 俺は黙ってその様子を見ていた。意外とあっけなく、直径二センチほどの、人間にしては小さな眼球が取り出された。
「あなたは、この目ばかり見て、わたしを見てくれないもの」
 その指摘の方が、目玉を取り出す光景よりも、俺をどきっとさせた。
「ごめん」
 周りの客は狭いスペースで自分たちの世界を作っていて、こちらに気付いていない。関心がないのだ。
「ねえ、あなたは手に目のないわたしでも、付き合っていてくれる?」
 黄色灯に照らされた鈴木の目には、涙が浮かんでいる。彼女の左手には、涙腺もあるのだろうか。俺はなぜか冷静で、そういう自分自身が嫌になった。もっと叫ぶくらいの、感情的さがほしかった。
「ああ。俺は鈴木が好きだよ」
 鈴木も、普段は感情を、明らかにわかるようには示さない人だった。笑うときも、いつもちょっと見下すような、軽蔑するような薄ら笑い。今も、そういう笑い方で俺を見ている。でも、何か熱い、怒りとは違う感情で彼女が満たされているのが雰囲気でわかった。
「嘘よ。笑えるわ。じゃあ、これを見ても?」
 右手のフォークをテーブルに置き、長い前髪をかき上げた。左目のない顔が視界にばっちり入った。左目のあるはずの部分だけ、のっぺらぼうのようだ。怖かった。でも俺は目を離すことができなかった。そして、何も言うことができなかった。
「もう、別れた方がいいと思う。わたし、疲れた」
 鈴木は前髪を、いつものように戻した。俺は目の前の、左目のない美人を手放したくはなかった。一緒にいた時間は、結構長かった。その間、容姿だけではなく、鈴木の内面も、彼女そのものも好きになっていた。でも、鈴木は離れたがっている。好きな人は、俺といて、苦しいらしい。
「わかった」
 言い訳も、反論もできなかった。鈴木は、バッグから取り出したビニール袋に目玉を入れると、大事そうにバッグに戻した。最初から、俺の目の前で取り除こうと決めていたのかもしれない。
 そして、注文していたステーキは食べずに、店を出た。

 それから一月、彼女は学校に来なかった。風邪だと先生は言っていたが、嘘だと思った。
 一カ月経った月曜に、鈴木は学校に来た。その姿を見て、俺は驚いた。クラスの人間も、黙ったまま、わずかに目を丸くしたに違いない。
 鈴木は、顔を隠していた髪を取り払っていた。顔の目のある位置には、両方とも、綺麗な目玉で埋まっていた。左手を見ると、包帯は巻いていなかった。
 俺があまりにきょとんとしていたのか、彼女はそのリアクションに対して楽しそうに笑って、俺にだけわかるように囁いた。
「義眼なの」
 はっと彼女の目を見ると、確かに無機質なものだとわかった。でも、指摘されなければわからない。やっぱり、髪を払って、両目の揃った鈴木の顔は、綺麗だった。
「わたしはね、わたし自身を見ていてほしいの」
 鈴木の表情は明るかった。俺は悔しくなってきた。俺だって、左目ばかりを見ていたわけではない。見ていなかったわけでもない。
「鈴木のあの左目だって、鈴木だったんだよ。俺は鈴木の全部が好きだった」
 つい、言ってしまった。少しだけ、ショックを受けたようだったが、彼女は淡々と答えた。
「あれは、わたしじゃなかったの。わたしは、自分の普通じゃないところを認めてはほしかったけれど、見つめてほしくはなかったもの。ずっと、普通になりたかったから、見つめられていたら、普通になれなくなる気がした」
 俺は腑に落ちなかった。いや、その点は理解したくなかったのかもしれない。

 鈴木が美人であることが校内で判明してしまったために、人々の鈴木への扱いが変わっていくのがよくわかった。
 俺だけしか知らなかったはずなのに。
 それもまた、悔しいことだった。

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